ホームトップ > 企業情報 > web社内報


活躍する社員

岡崎支店柴田支店長、相川課長 人事部厚生課飯田課長(2021年03月26日)

戻る

 2020年を振り返ると、コロナ禍一色といっても過言ではなかった。遠く中国の出来事だと思われていた新型コロナウイルス感染症が、日本にも脅威をもたらしていることが発覚したのは2月。横浜港に停泊中のダイヤモンド・プリンセス号の船内でクラスターが発生したことからだった。そして経験したことがない緊急事態宣言の発令や外出自粛要請、学校の休校や保育園の休園、そして営業自粛要請を受け、多くの人々の当たり前の日常が奪われた。
 そんな1年、西濃運輸はどう新型コロナウイルスの脅威と戦っていたのだろうか。

岡崎支店柴田支店長、相川課長 人事部厚生課飯田課長 【Profile】
柴田 良
 岡崎支店支店長(写真上段左)
2009年に豊橋支店の支店長に就任。それ以来、枇杷島支店、一宮支店の支店長勤務を経て、2019年の秋より岡崎支店の支店長を務めている。コミュニケーションを一番に考えて店所運営を行い、店所全体を活性化し、岡崎支店を引っ張っていく。

相川 洋二 岡崎支店課長(写真上段右)
大曽根支店勤務を経て、2018年より岡崎支店の課長を務め、今年で3年目。日々、岡崎支店の従業員と連携しながら、お客さまの要望に応えられるよう、業務改善を目指し、課長として管理および指導を行っている。
飯田 琢郎 人事部厚生課課長(写真下段中央)
東京支店勤務から2019年より人事部厚生課課長を務め、今年で2年目。現在は、コロナ対策の他、厚生年金の管理業務や健康診断関係の手配など、社員の健康経営に関する業務の取りまとめを行っている。

岡崎支店柴田支店長、相川課長 人事部厚生課飯田課長  2020年2月17日、岡崎支店の柴田支店長は、ニュースを見て驚きを隠せなかった。今月の初めに横浜港に入港したクルーズ船の船内で、新型コロナウイルスのクラスターが起きていることは知っていた。そこから無症状病原体保有者およびその同行者(濃厚接触者)が岡崎市にある藤田医科大学岡崎医療センターに搬送されるという。同センターは4月の開院に向けて準備の真っただ中。工事が行われている現場への資材の配達は行っていた。その時は、まさか患者が移送された病棟への配達はないだろうと思っていたが、念のため、夜勤者に藤田病院宛ての配達があったら、別仕分けを行い、事務所へ連絡するよう伝えた。
 2月19日に患者の受け入れが開始され、数日経った頃、夜勤者から病院宛ての商品が届いていると知らされた。
 「当時は今よりもウイルスのことがよくわかっていなかったので、患者の受け入れ前日に行われた住民説明会でも、かなり紛糾している様子でした。社員の中にも、病院の前を通っていたが、通勤のルートを変えたなんていう人もいるぐらい。なので、もし配達があった場合でも、通常の配達ルートに入れるのは難しいと考えていました。感染を広げないためにも、配達に行く人は少人数に絞る必要もありました」
 そこで白羽の矢が立ったのは、同支店の相川課長だった。若い人は重症化しにくいといわれていたのも理由だった。当日の配達は、500ml入りのペットボトルが20ケースほど。相川課長は出発前に病院に電話をして、荷受けの状況などを細かく聞いた。そして支店長が用意してくれた、当時まだ入手が困難だったアルコール消毒液を携帯して、一人病院へと向かった。
 「事前の電話で、荷受けの人は患者とは接していないと聞いていたので、それほど不安は感じていませんでした。到着すると、他の運送会社が持ってきた荷物が入り口に置いてありました。荷受けの担当の人が一人で対応されていて、できれば奥の備品庫まで運んでくれないかと…。とてもお困りのようだったので、病院内まで入り、エレベーターを使って他階の備品庫まで、迷路のような廊下を通って4往復ぐらいして運びました。院内は安全な青いゾーンを通り、黄色や赤の紙が貼ってあるところには入らないように言われました」
 その後も配達は続き、主に課長やCMが物量に応じて備品庫まで納品していたが、「入口までの配達で勘弁してください」という業者が圧倒的に多かったそうだ。

 
岡崎支店柴田支店長、相川課長 人事部厚生課飯田課長  同じ頃、本社でも見えないウイルスの脅威に人一倍危機感を募らせていたのが、厚生課の飯田課長だ。1月より感染症対策の啓蒙ポスターを作り、通達で発信をしていた。しかし2月の後半となり、全国的にも感染者が増え、安倍首相(当時)が全国すべての小中高校に臨時休校要請の考えを公表するなど緊張感が一層高まると、会社としてもリスクを事前につかむために、37.5度以上の発熱者は報告し、自宅待機するようルールを決めた。最初は週に1~2件の報告だったが、4月に入り緊急事態宣言が発令されると、その報告者数も一気に跳ね上がった。
 「コロナ禍以前の厚生課の主な仕事は、社員の健康診断や健康保険の手続きなどでしたが、それが一変しました。感染症対策の呼びかけや、総務が手配してくれたマスクや消毒液の定期的な発送、そして発熱者の把握など、すべて手探りの状況でした」
 その対策も功を奏し、社内では新型コロナウイルスの陽性者を出すことなく5月の緊急事態宣言解除を迎えると、自宅待機者の数も減り、飯田課長もようやくコロナから解放された、と思っていた。しかし7月、ウイルスは再び猛威を振るい始める。
 「第2波では、PCR受検者の数が第1波とは比べ物にならないぐらい増え、1日に10人以上となりました。自宅待機者
を含めるとかなりの人数が報告されるようになったので、エリアからPCR受検者のみを報告してもらうようルールを変更しました。そしてついに陽性者が出るのですが、事前にある程度準備はできていたので、慌てることはありませんでした」
 とはいえ、陽性者の行動履歴や濃厚接触者の把握は、難しい作業だった。二次感染を防ぐために、お客さまとの接触の有無や、路線乗務社員であれば仮眠室の使用状況に加え、同室を利用した人の把握など、1件1件店所に聞き取りを行わなくてはならない。店からの報告に対し、何度も調べて報告し直すようお願いするのは、心苦しくもあった。しかし、どの店所も非常に協力的だという。
 「休日や正月休みであっても、支店長や課長など管理職自らが、積極的に動いてくれるところに、心強さを感じています」 


 岡崎支店柴田支店長、相川課長 人事部厚生課飯田課長 では実際に、陽性者が出た店所ではどのような動きがあったのだろう。ある店の支店長にも話を聞いてみた。この店では、第1波の頃から手洗い・うがいの徹底、そしてハンディタイプの消毒ジェルを独自で購入し、運転席に置くよう指示するなどして感染症対策を行っていた。しかし8月に、家族が陽性と判明した社員から、本人もPCR検査を受けることになったと報告があった。そして数日後の午後、陽性だったと連絡が入った。
 「まだ社内で陽性者が出たケースが少なかったので、対応に戸惑いはありました。濃厚接触者の把握などをしたいので、まずは保健所に連絡したのですが、何度掛けても全然電話が繋がらない。そこで居ても立っても居られなくなり、自ら保健所に向かい、ようやく職員と話をすることができました。そして食事を一緒にとっている人がいないという状況から、濃厚接触者はいないという判断が出て、やっと気持ちが落ち着きました」
 リーダーミーティングなどを通して、陽性者が出たことは社員に伝えられたが、その頃は担当するお客さまでも陽性者
が出たという話を頻繁に聞いていたため、冷静に受けとめる人が大半だったという。しかし、この店ではその後も何人かが立て続けに罹患することになる。
 「駐禁対策で横乗りをしていた人が陽性になり、発症前に同乗していたSDが何人か同時に濃厚接触者になったこともありました。濃厚接触者になるとPCR検査で陰性であっても、2週間は自宅待機となります。一番多い時で、SDが4人自宅待機となった時は、他の班やビジネスセンターからも人を回して、なんとかやりくりしました。クラスターが起きたらどうしようと、本当に不安でした」
 見えないウイルスとの戦い。次は自分が感染するかもしれない。だからこそ、罹患者を非難するようなことは絶対にし
てはいけない。この支店では、独身寮で暮らしている社員が自宅待機になった時は、交代で弁当を買いに行き、ドアノブに掛けておくなど、気遣いを忘れなかった。
 「当事者は長く休むことに対し、収入面でも不安も多くあったようです。しかし会社からは給与面での補償もあり、ほっとしていました」 


 「物流は止めない」。この難しいミッションにも、果敢に立ち向かう私たち。感染リスクがあっても、配達を待っている人がいるなら、その場へ向かう。困っていれば、奥まで運ぼうと思う。そして仲間と助け合い、相手を思いやる気持ち。この強さと優しさに、輸送立国の使命が根付いている。

戻る