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活躍する社員

西濃運輸空手道部 田中美佐稀さん(2018年07月03日)

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トヨタカローラ岐阜 海渕 萌さん Profile

田中 美佐稀
たなか みさき
長野県出身 24歳 
幼少の頃から空手道を始め、山梨学院大学4年生時には、全日本学生選手権女子個人形で優勝、世界大学選手権大会女子個人形で優勝と、大学空手道界で活躍。西濃運輸に入社後、国体優勝、全日本実業団2位、全日本選手権3位と社会人になっても躍進を続けている。今年からは世界大会にも参戦し、KARATE1シリーズAスペイン大会では3位に入賞。世界ランキング67位。


 誰よりも空手道での活躍を応援しサポートしてくれた母に金メダルをプレゼントしたい。その想いで頑張ってきた選手は、西濃運輸に入社して社会人で空手道をすることで、会社の名前を背負う責任感に芽生えた。その責任感が苦手だった厳しい練習に耐える力になり、世界レベルの実力者の指導で成長。国体優勝など入社1年目に大きな飛躍を果し、今年からは世界に戦いの場を広げ、ナショナルチーム入りを夢から目標に日々練習に励むのが今回紹介する田中だ。

【支えてくれた母へ金メダルをプレゼントするために】
 外で遊んだり、運動したりすることが好きで、アクション俳優に憧れる、男の子っぽいところがある女の子だった田中は、地元の町道場で見学した際にかっこいいと思ったことが、空手道を始めるきっかけだった。            一緒に練習し、大会で応援することが私のやりがい、そう言って母親は熱心にサポートしてくれた。道場の無い日は二人で体育館を借りて練習するほど、空手道漬けな毎日を過ごしていた。小学2年生の時に全国大会で優勝した田中だったが、体格差が出始め、小学校から始めた選手達が台頭してくる3年生頃になると、全国大会で勝てなくなり、空手道を辞めたいと思うようになっていた。
「もう一度全国で優勝したら辞めてもいいと母に言われ、辞めるために練習をしていたら、結果が出ない悔しさがどん
どん強くなって、気づいたら勝ちたくて練習していました。簡単に諦めるなという母のメッセージだったのかもしれません」
 結局、中学校を卒業するまで結果を残すことは出来なかったが、レベルの高い環境で練習すれば、全国でも通用するかもしれないと考え、強豪校である山梨学院高校に進学した。高校で空手道をしながら、週1回は田中の流派である剛柔流の新潟にある道場に通っていた。長野から車で母親が迎えに来て、山梨から新潟へ行き、22時まで練習して、長野の実家へ戻る。翌朝5時半頃の始発電車に乗り、山梨の寮へ戻って学校に通う。週1回500kmの移動を繰り返していた。
「母は運転もあるし大変だったと思います。でも新潟に行く道中の一緒にいる時間が母も嬉しかったんだと思います。ここまで協力してくれる母親の大変さを考えたら、何としても金メダルを母親にかけてあげたい、それが目標でした」
 高校での最終成績はインターハイ3位。金メダルには届かず、山梨学院大学に進学して、金メダル獲得を目指した。  2年生の時、部活動でうまくいかないことが重なり、監督ともそりがあわなくなって、空手道を辞めようか真剣に悩んだ時期があった。練習に集中できず、結果も出ない状況が4か月程続いたという。練習に集中できる環境は自分で作らなければいけない、メンタルトレーナーからそう助言を受けた田中は、自分の今いる環境の中で、選手として成長するには何をしたらいいかにポイントを置いて、すべきことを考えるようになった。                   「4年生の時、初めて全国大会で金メダルを取ることができました。母にかけてあげると、大学では色々あって辛かったと思うけど頑張ってきて良かったねと、涙を流して喜んでくれました。自分のやりやすい環境に頼りきりになるのではなく、今ある環境でやりやすく成長するために自分が柔軟に対応していけるようにならないといけない。大学時代の大きな学びでした」
 その後、選考会での演武が評価され、田中は初めて世界学生選手権日本代表に選ばれた。その頃、女子形の選手を探している西濃運輸で空手道を続けたらどうか、と監督から話をもらった。しかし厳しい練習が苦手な田中は、西濃運輸への入社を悩んだという。ただ世界学生選手権をひかえ、憧れだった若井監督から直接指導を受けてみたい気持ちもあり、指導をお願いする以上は、と入社の意思を固めた。若井監督の初めての指導は、想像を超える厳しさだったという。
「5時間も通しで練習するのは初めてで、練習前の半分くらいに痩せたんじゃない?と若井監督に言われるほど。とてもつらかったけど、稽古をつけてもらったと実感出来たのは初めてのことでした」
 それまで田中の形は男っぽいと言われ続けていた。女性らしい形の出し方や、国内と違う世界での魅せ方など、若井監督の指導で視野が一気に広がり、もっと指導を受けたいと感じたそうだ。若井監督の指導もあり、世界学生選手権の決勝では、過去に3位入賞したこともある選手を破り、見事優勝を果たすことが出来た。

競技中の海渕選手 【夢は目標に。西濃運輸空手道部を選択したことは

間違いじゃなかった】
 西濃運輸に入社して1か月間は基本練習についていくのに必死だった。6月の西日本実業団直前の終日練習では、この先続けられるのかと思ったほどだった。

「若井監督の指導が夢に出てくるほど、練習のつらさが堪えていた時期もありました。ただ、その練習に耐え、西日本実業団で準優勝できた。結果を残せたことに手応えを感じ、西濃運輸できつい練習を頑張れば、社会人で通じると思いました。入社した選択は間違ってなかった」
 11月に出場した愛顔つなぐえひめ国体では、最大の山場と想定していた準決勝で、予想通りナショナルチームの選手と対戦した。相手は格上、全力を出して、それで負けたらしょうがないと考えていた田中は一番得意な形で試合に臨んだ。自分に旗が上がった時には、思わず「勝っちゃった」と結果に驚いたという。

 集中力も体力も使い果たすほど全力で準決勝に臨んだ田中は、構えただけであちこちがつりそうな状況になっていた。決勝で形を打ち切れるのか?不安に感じたが、今日はあと1本で終わり。やり切るだけと気持ちを切り替えて臨んだ。
「練習についていけなくて、心が折れそうな時に、練習で何十回と形を打ったら、本番はたったの数回、今踏ん張れたら本番でも踏ん張れる。そう新馬場先輩に常日頃からアドバイスをもらっていました。国体前は連続で形を打つ厳しい練習だったけど、先輩がいたから乗り越えられた。その経験があったから、あとちょっとのところで踏ん張れた。国体での優勝は自信になりました」
 続く11月の全日本実業団空手道選手権でも準優勝と好成績を残した田中は、12月に開催される国内最高峰の大会、全日本空手道選手権に出場する。2回戦では大学時代に優勝を競ったライバルと当たることが決まったが、得意な形を決勝に温存する戦術を選択した。これは一つのチャレンジだった。
「上位に行ける自信がなければ取れない戦術だったけれど、今なら決勝まで行けるかもしれない。この戦術で勝てたら、これからも日本の上位で戦える。会社の代表として結果を残したい。これまでで一番強い気持ちで大会に臨みました」
 ライバルは得意な形で勝負してきたが、田中は比較的得意ではない形でライバルを破り、その勢いのまま見事3位に入賞する。大学時代には4度出場して1度も勝てなかったが、西濃運輸に入社して1年目にいきなりの入賞を果たしたのだ。
「入社して以降、形が変わった、よくなったと言われます。演武している時の雰囲気が変わり、技に力強さが出たと。若井監督の指導や新馬場先輩の助言で技術面も伸びましたが、より大きかったのは、演武する上で自分が意識していた以上に、細かい点を意識するよう指導を受けたことです。この意識の目線の差が勝てる・勝てないの差だったと感じています」
 国内で好成績を残せたことで、田中はナショナルチーム入りを現実的な目標として考えるようになった。今年から世界ランキング50位以内の選手が選ばれるルールに変わり、ランキングを意識し始めた田中は、オープン参加できるKARATE1シリーズAスペイン大会、オーストリア大会に挑戦した。スペインは3位入賞で315ポイント、オース
トリアでは5位で255ポイントを獲得。過去2年でわずか55ポイントだった田中が、2大会で10倍ものポイントを獲得し、ランキングは200位台から一気に67位まで上昇した。惜しくも50位までは150ポイントほど足らず、今年4月の選考ではナショナルチーム入り出来なかったが、あとわずかのところまで来ている。

 親に金メダルをかけてあげたい、その想いで頑張ってきた選手が、西濃運輸に入社し、世界レベルの実力者である若井監督の指導や新馬場選手の助言を受け、今では世界を舞台に活躍する選手に成長した。この1年で何が変わったのか。
「個人としてやってきた大学までと違い、企業の名前を背負って大会に出る。自分だけの責任ではないと思うようになりました。空手道部の先輩たちが築いてきた結果の重みもあります。女子形は先輩がみんなトップレベルでやってきた。自分の代でレベルを落とせません。練習時間を頂いている環境に甘んじてはいけないと思うようになり、勝つためにどう練習をするか、と熱の入れ方も変わりました。結果を残す責任がある。その責任感できつい練習でも踏ん張れます」
 田中は6月8日~10日にトルコ・イスタンブールで行なわれる、KARATE1プレミアリーグに挑戦した。この大会でポイントを稼ぎ、ナショナルチーム入りを目指している。

「私が超えるべきハードルは世界大会に出場することではもうありません、結果を残せる選手になることです」
(文中・敬称略)

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