
活躍する社員
岐阜日野自動車 小林由貴さん(2015年06月18日)
Profile
小林 由貴
岐阜日野自動車 スキークラブ
新潟県出身 27歳
小学生からスキーを始め、中学生時代に全国大会へ出場。高校3年生では全国高校スキー大会で優勝し、大学2年次から全日本学生選手権で3連覇を果たす。また大学時代には、ノルディック世界ジュニア選手権やワールドカップにも出場し、今年のノルディック世界選手権では自己最高の11位を記録。
スキー競技の一つであるノルディックスキーは、北欧で山野を滑走するスキーとして生まれ、つま先だけを固定してかかとが浮く板とブーツを使用する。種目にはクロスカントリーと、ジャンプ、2つを組み合わせたコンバインドがある。中でも全スキー競技の原点とも言われ、アップダウンのある長距離のコースを滑ってタイムを競うクロスカントリースキーは、持久力と技術が求められる。この種目で世界を舞台に活躍する日本女子選手が少ない中、国内のみならず世界大会で結果を出してきている選手が、今回紹介する小林由貴だ。
【次第に深まるスキーの魅力】
スキーが盛んな新潟県で生まれ育った小林が、クロスカントリースキーに出会ったのは小学校4年生の時だ。小さい頃から体を動かすことが好きだった彼女は、水泳、陸上、クロスカントリースキーといった色々な競技をやる体育サークルに入った。寒いのが苦手だった小林は、意外なことにスキーより陸上競技の方が好きだったという。全国大会に出場するほど、駅伝に力を入れていた中学校に入ると、小林は陸上部とスキー部を兼部した。部活の顧問は自衛隊出身の女性教員で、とにかく厳しかったそうだ。
「登坂走は足がとれるのではないかと思うぐらい何本も走らされ、よく泣いていました。中学時代の練習が、今までで一番辛かったかもしれません」
現在はクロスカントリー競技で世界を舞台に活躍する小林だが、高校進学時は陸上が強い十日町高校を選択し、スキーは止めるつもりだったという。しかし先輩からの誘いや中学時代の先生からの勧めもあり、陸上をやりながらスキーも続ける決断をする。すると元々自然が好きで、レースの度に全国各地へ行けるスキーの魅力が次第に膨れあがり、一転して高校3年生からはスキーに専念することを決め、ひたすら練習に打ち込んだ。そして高校生最後のインターハイではフリーで2位、クラシカルでは目標に掲げていた自身初となる優勝を成し遂げた。
「得意としていた初日のフリーで僅差の2位になってしまい、もう後がありませんでした。どちらが得意とか言っている場合ではないと覚悟を決めて臨んだことが、強い気持ちとなって結果に表れたのだと思います」
インターハイでの好成績を買われた小林は、早稲田大学のスキー部へ進んだ。寮に入り、スキーに特化した生活を送れることが幸せと感じるほど、スキーに魅了されていた。しかし大学ではこれまでと違って、スケジュール管理から練習方法など全てが個人に任せられており、それに加えて寮の掃除や食事作りなどやる事が多かった。余裕のない1年次の生活は競技にも影響し、国内大会でも思うような成績を出せず、初めて選ばれた世界ジュニア選手権では「こんなはずじゃなかった」と思うほどボロボロであったという。
「2年次はアンダー23の世界選手権で成績を残すことを目標にしていたので、このままでは駄目だ。何かを変えなければいけないと思って、練習プランをもっと真剣に考えるようになりました」 彼女の強みは目標を決めたら、それに向かってとにかく行動に移すことである。体の線が細く筋力がない小林は、ウェイトリフティング部の先生にクロスカントリーがどんな競技なのかを説明した上で、持久系の筋力をつけるにはどうすれば良いか相談し、新たなメニューに取り組んだ。するとアンダー23の世界選手権で17位の好成績を収め、ワールドカップへの出場権を得た。しかし世界選手権の練習中に痛めていた右手が完治していない上に、ハードスケジュールで熱も出るなど満身創痍の状態だった。さらに初参戦というプレッシャーに呑まれ、結果はダントツの最下位であったという。
「こんなにも自分の滑りができないレースがあるのだと思い知らされました。スタート前から心身共に疲れていて、レース中は訳が分からない状態になり泣いていました。今まで底は見てきたと思っていましたが、本当にどん底でした」
【転機となったオスロの魅力】
ワールドカップを経験した小林は、この頃から世界を意識するようになる。しかしそんな気持ちとは裏腹に、状況は悪くなる一方だった。ワールドカップで味わったどん底以上の辛い日々が、小林を襲うのである。大学3、4年次は大会前日に体調を崩すことが多く、レースに出るのが精一杯という状況が続いた。辛うじて全日本学生選手権では優勝するものの、社会人も出場する大会では今までとは違って勝てず、完全に自信を失い、どの大会にも出たくないと思うほど追い詰められていた。ところが北海道で偶然、高校の時にお世話になった先生に再会する。そこで「勝てなくても大丈夫。どんなに最低でも1桁の順位には入れるから心配ない」と背中を押してもらったことで、気持ちは軽くなった。ここから立て直そうと奮起した小林は、大学4年次のアンダー23の世界選手権では、順位を気にせずに自分の滑りを心がけようと、旅行気分で向かった。すると驚くほど体が軽く感じ、世界がつく大会では初の1桁となる4位につけたことで、自信を取り戻した。
「気持ちを少し変えるだけで、こんなにも変わるものだと実感しました。これまでは、練習をしっかりしなければいけないと追い込みすぎていたのだと思います」
大学卒業後、ぎふ清流国体を目指して2010年に岐阜日野自動車に入社した小林は、ノルウェーのオスロで開催された世界選手権に出場したことが更に大きな転機となる。会場で応援する観客がほとんどいない国内の大会と比べ、オスロの会場は観客で溢れかえっていた。観客は選手に温かく、まるで自分がスターにでもなったかのように「ユキー!」と声援を送ってくれることに大きな感銘を受けた。スキーが国技となっているノルウェーでの経験は、スキーに対する考え方を変えた。好成績を残すことばかりを考えてきたが、楽しい環境でもっとレースがしたいと思うようになったのだ。
大きな転機となったオスロからの帰国後、小林はぎふ清流国体のクラシカルで優勝を果たす。そして新たな目標として、ソチオリンピック出場を目指したが、代表選手に選ばれることはなかった。
「これから先、一体どれぐらいの成績が残せるのか不安になりました。このままでは何も変わらない。何かを自分の中で変えなければならないと思いました」
新たな壁にぶち当たった小林だが、ここで彼女の行動力がまた発揮される。オスロでの経験が頭から離れなかった彼女は、単身でオスロに渡ることを決意したのである。ノルウェー大使館へ足を運び、現地で加入できるスポーツクラブを探した小林は、2014年5月に新たな境地を求めて旅立った。最高の環境が整っているオスロでの練習は、やればやるほど新しい発見ばかりであった。シーズンを通しての過ごし方から、筋力トレーニング量やその方法など、新たな気づきが楽しくてたまらなかった。初めは技術面を学ぶつもりで渡ったのだが、取り組む内容は筋力トレーニングばかりだった。しかしその中でも強い選手ほど、時間をかけて体作りをしていることを知る。時間をかけて体を作り上げ、その後から技術がついてくることに気づけたことは、オスロへ渡った大きな財産となった。
武者修行で筋量が2kg上がった小林は、帰国後オスロで学んだ経験を活かし練習方法を大幅に変えた。すると国内の大会では、上位入賞が当たり前になったのである。そして昨年の北海道で行なわれた大会では、これまで到底敵わないと思っていた国内のトップ選手に初めて勝つことができたという。
「自分に必要なトレーニングがどういうものか分かってきました。これだけ練習をやってきて、勝てないわけがないという自信もつきました。ようやく世界で戦うスキーヤーの土台に立つことができたと思うので、次のオリンピックを目指して今年もオスロに向かおうと思います。」
小林は何度もどん底を見てきた。しかしその度に彼女は這い上がり、新たな変化を求め、何が必要かを考え行動し続ける。この行動力が新たな自分を作りあげていくのである。これからも世界を舞台に羽ばたく彼女の活躍を見守っていきたい。
(文中・敬称略)