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活躍する社員

西濃運輸仙台支店 岡勇人さん(2018年04月24日)


Profile

岡 勇人
西濃運輸仙台支店 路線乗務社員

宮城県出身 32歳 
24歳の時に路線乗務社員として西濃運輸に入社し、仙台~茨木間約900㎞をトレーラの2マン運行で担当している。2016年に出場したトラックドライバー・コンテスト全国大会トレーラ部門で、セイノーグループ史上初めての入賞(5位)を果たし、2017年大会でも2位入賞。2年連続入賞の快挙を成し遂げた。私生活では家族との生活を大切にする3児の父。

 「家族と触れ合う時間がしっかり取れる会社で働きたい」その想いで西濃運輸に入社した岡。全国大会に出場した経験を持つ先輩が自身の班のリーダーを務めていたことが縁で、岡のドラコンへの挑戦は始まった。


【自身の成長につながったドラコンへの挑戦】
 運転するのが好きで、運転手の仕事に就きたいと思っていた岡は、西濃運輸に入社する前、地元の運送会社に勤務していた。石巻から関西へ大型トラックで鮮魚を運ぶ仕事だったが、休みが不定期。家族との予定を立てるのが難しく、子供と触れ合う時間も取れなかった。仕事を続けるかどうか悩んでいた頃、北大阪のトラックターミナルで知り合った西濃運輸の路線乗務社員と話をする機会があった。
 「シフト制で出勤日も決まっているから、安心して働ける会社だと聞きました。地元のハローワークに行くと、ちょうど仙台支店で路線乗務社員を募集中で、迷わず面接を受けました」
 西濃運輸に入社した岡は、仙台~茨木間を運行する茨木班に配属された。旅行に行けるようになるなど、家族との時間も増え、岡は満足して仕事ができるようになった。
 研修では茨木班のチームリーダーである岩佐に指導を受けたが、仕事に熱く、特に安全については厳しかったという。休憩中でもタイヤの輪止めをし、車両が動くことの無いよう気をつけろと注意されたことは今も覚えている。その岩佐がドラコンに挑戦した時は、「頭が切れて度胸もあるから全国の舞台で活躍してくれる」と、岡はその姿を見ていた。しかし、全国の壁は高かった。その岩佐から翌年、「今年のドラコン宮城県予選にはお前が出場しろ」と言われた。岩佐でも入賞できなかった大会に出場しても自分では通用しないと不安になり、最初は何かの罰かなと思ったそうだ。その後岩佐と車中でドラコンの話になった。一生懸命やって、とても充実感があり、挑戦して良かったと感じているから勧めたと、岩佐は話した。ドラコンは岡にとって必ずプラスになる、ただ人から言われたから挑戦するという気持ちなら、やらない方がいいとも。
 「自分が出場しても・・・という気持ちもありましたが、挑戦することで、成功はできないかもしれないが成長できると思い、自分の意思で挑戦することを決意しました」
 宮城県予選は学科競技のみ。勉強はきついと思った。岩佐は手厚いサポートをしてくれ、自分が間違えた問題や間違えやすい箇所をまとめた、岩佐曰く「執念のノート」を用意してくれた。分からないことがあると、東北エリアのインストラクターである金子が資料を用意してくれた。予選までの4か月間、毎日ではないが、休日や出勤前、運行後、ホリデーで茨木に行った時には食堂で、少ない時でも1時間は勉強をした。模擬試験で高得点が出るようになり、努力が結果につながることが嬉しかったという。全国大会に自分も出場しなければ、とプレッシャーを感じながら臨んだ宮城県予選トレーラ部門で見事1位となり、全国大会への出場権を得た。続く全国大会では、大手同業他社などの強豪がいるので、まずは岩佐の点数を超えることを目指したという。
 「大会中は不安しかありませんでした。まさか5位に入賞していると思ってもいなくて、名前が呼ばれた時は実感が湧きませんでした」
 一緒に挑戦したメンバー、会場にいた西濃関係者など多くの人から祝福された。それでも本当なのかとふわふわした気持ちでいた。自宅に戻り、妻から「おめでとう」と言ってもらい、初めて入賞を実感できた。
 全国大会が終わった後、岡には変化が生まれていた。ドラコンや学科のことについて岡に質問をする人が増え、周りからは一目置かれるようになり、より緊張感を持って仕事に臨むようになった。そして全国大会に挑戦した経験が自信となり、自分の意見や考えを言えるようになった。岩佐から見ても、大会前の岡は、何事も否定的に捉えず、素直に吸収できる性格で、教えたことはきっちりできる人物だったという。ただ、気づいたことがあっても自分から先輩に言えるタイプではなく、グループ全体のことを考えると、気づいたことは伝えるようにしないといけない。そこが岡には足りないと見ていた。その変化は大きかったと岩佐も認める。また岡は、それまでに得た技術や知識を活かすため、正しい運転姿勢を心がけるなど、事故防止のための具体的行動を実践し、安全運転に努めている。


【「セイノーは全国でも通用すると証明したい」という想い】

 ドラコンは2回まで挑戦できる。だが1回目の挑戦で入賞し、岡は目標を達成した気持ちになっていた。翌年の挑戦権は、仙台支店の他の人に譲るつもりでいた。実際、他の人が挑戦することになったが、予定していた人が退職し、枠が空いた。
 岡は本当は何年か後にリベンジしようと思っていた。1回目よりも2回目の方がプレッシャーが大きいからだ。入賞したのはまぐれ、そうは思われたくない。出るからには、少なくとも前回と同様、もしくはそれ以上の結果が求められる。葛藤をしたが、岡は自ら立候補した。
 「西濃運輸が大手同業他社と肩を並べて戦えること、そして我々の技術や知識が全国でも通用することを証明したい、と挑戦を決めました。前回大会にも出場した西濃運輸の東北エリア内店所に所属する他県代表者達の後押しがあったことも大きかった」
 県大会を通過し、2度目の全国大会に向けて準備してきた岡であったが、本番直前は吐きそうになるほどのプレッシャーを感じていた。前回より上を目指せる、そう期待を持って応援してくれる周囲の声。とてもありがたかったが、プレッシャーも増していった。それでもいざ当日、本番が始まると「やってやるぞ、見ておけよ~」という気持ちになり、プレッシャーはすっかり無くなっていた。実技に臨むと、順調にコースを回ることができた。そして最後の課題走行であるバックでの車庫入れを迎える。



 「当日は後方の計測点から指定された幅で止めなければいけない条件でした。バックをし、一度車両を止めたんですが、まだ距離があると思いさらに車両をバックさせました。実は一度止めた地点がいい位置で、後退した分だけ減点だったんです」
 競技終了後、状況を見ていた西濃関係者からそれを聞き、強く落ち込んだ。たった一つの失敗が悔やまれた。自宅に帰った後も「やってしまった」という思いが強く、結果を知ろうと思えなかった。
 今大会は、台風の接近により表彰式は行なわれず、結果は全日本トラック協会のHPで公開されることになっていた。岡は公開された後もそれを見ないままでいたが、LINEの着信音が何度も鳴った。全国大会に挑戦したセイノーグループの仲間からの祝福のメッセージだった。慌ててHPを見た。同点での2位。自宅で一人大喜びした。その夜、家族がお祝いしてくれた。

 ドラコンへの挑戦。家族や同僚、上司の理解と協力が無ければ、出場も入賞も無かったと岡は言う。「お父さん勉強中だから静かにしてね」と子供に言ってくれたり、子供を公園に連れて行ってくれたりと、妻は岡が勉強に集中できるよう配慮をしてくれた。大会前には妻と子供が一緒に作った、写真と応援メッセージ入りのお守りをくれた。ドラコンを通じて、多くの人の協力を肌で感じられた。それがとてもありがたくて、嬉しかったと岡は言う。

 ドラコンは安全意識も高まり、乗務職にとって必要な技術、知識も習得できるので、西濃運輸の乗務職全体のレベルの底上げにつながる素晴らしいコンテストだと、岡は振り返る。
「今年は50回大会という記念すべき年。セイノー初の内閣総理大臣賞(全部門を通じて最高得点)を勝ち取り、選手にとって記念となることを陰ながら応援しています。そして今後は、2回の挑戦で培った知識や技術を生かし、経験したことを伝えたい。機会があれば、後進を育てる役割をやることも考えていきたいと思っています」


(文中・敬称略)


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